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旧盛岡中学校

旧盛岡中学校(現盛岡第一高等学校) は、校歌に「汚れは知らぬ白堊城」と歌い、県内の高等学校の中では最も長い歴史を有する。 東北地方を代表する進学校のひとつで多くの著名人を出しています。

 

 

 

明治13年(1880)に創設された「公立岩手中学校」を前身としていて、 校歌は軍艦マーチ、応援団は古くからのスタイルを貫いている、バンカラな校風で知られています。

 

『盛岡の中学校の

露台の

欄干に最一度我を倚らしめ』   啄木

 

 

 

啄木が通ったころの盛岡中学の校舎は「内丸」 というところにあった。今は岩手銀行本店になっており、「盛岡中学濫觴の地」の啄木歌碑がある。

 

 

 

明治31年(1898)啄木 入学

明治35年(19022月、5月、9月、10月と授業料支払いの督促を受け、10月啄木退学 。

節子との別れを経て、上京。 11月渋谷の新詩社に与謝野鉄幹、晶子を訪問。

 

啄木が授業をサボっていくのに丁度よい距離に岩手公園があったのです。

現在の「上田」 に移ったのは大正6年(1917)。

 

同校には「自彊(じきょう)寮」 と呼ばれる寄宿舎(男子用)があり、遠隔地に住む生徒も住居の心配をせずに学習ができる。

 

 

この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでおり、 その時代には宮沢賢治も利用しました。

 

 

この他著名な出身者に、

 

米内光政 - 軍人、海軍大将、第37代内閣総理大臣

金田一京助 - 言語学者・国語学者

野村胡堂 - 小説家・音楽評論家

など、多数。

 

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